ランス2,闘神都市
前回までのあらすじ
心機一転、アリスソフトというブランドにした
1989年の7月からスタートして年末までに
はやくも6本も出したよ
ちょっとずつ売れ始めてきたかな???
1990年
バブル時代なのに、我々の貧乏は続いていた・・
給与の遅配だけは無くなって、毎月ちゃんとお給料をもらえるようになった
やったね
夢中でエロゲー作りをしていた自分達は知らなかったが
社長の金策はあいかわらず厳しく、まさに自転車操業という形だったようだ
このピンチをバブルが少しだけ救ってくれたらしい
借金の担保にされていた社長の自宅、このバブルで担保価値が増えて助かったとか
意外なの所でバブルの恩恵があったんだね
・・・その分以上に、当時の金利はえぐかったと思うが
ま、何にしろ1990年、私達はまだまだ貧乏でした
当時の アリスの館のパッケージにそのイメージがまんま残っている
ほら、アリスちゃんも貧乏くさい
アリスの館
ゲーム内でやっていたアリスの館の拡張版?いくつかのミニゲームやクイズなど勢い余って作りましたあっ、カラースキャナーを手に入れたというのもあるかなすげーCGチマチマかかなくても取り込んでソコソコ見えるぞーと喜んで使っていましたカラースキャナーを手に入れたで、喜んで使っていました
さて、アリスソフトが始まって半年
ここまではイケイケゴーで作っていたのだが
制作者の欲というか甘えというか、業だね・・
だんだん、より良い物を・・という気持ちが強くなり
欲が芽生えたのか
遅れたり、失敗したりする事となる
ランス2
初めて予定より遅れてしまった作品社長に頭をさげて発売日を延期してもらった
売り上げもそこそこ良くなってきて
新しいスタッフも入った
ぷりん、ちーぼう が入社となった
私が始めて面接というか、採用に関与したなぁ
で、その頃、年末商品としてSF-ADVを作っていたのだ
過去最大の大作のつもりだったが、これが挫折してしまうのだ
SFは鬼門だね、手を出してはいけないね・・のちに大帝国も・・・
SFぽいのは、制作者として憧れはあるんだよ
T&Eのサイオブブレードみたいなエロゲーを目指していた
後、エニックスのジーザスとか
あっちこっちクリックして、(マウスじゃないけどね)
イベントが進む物語
バトルシーンはアニメーション (ブラスター?)
こんな設定というか展開だった
惑星間をワープ航法で移動するのだけど なんらか事故が何かで
主人公がワープする度に 性別が入れ替わる
その変化を利用して、いろいろ仕掛けをクリアする・・
スートリー自体はあまり覚えていない
戦闘シーンでミサイルが飛んでいくのかと試作して悦に入っていたな
メイン原画は、むっち
当時の絵は、社内のどこかに埋もれているかもしれないが
見つからなかった
なんで破綻したのかも覚えていない
とにかく、このプロジェクトは駄目になった
└|∵|┐ 駄目だ、やめじゃ、やめじゃ(若いので割り切りも早かった)
しかし、年末の主力商品が無くなった
今年の売り上げがヤバくなっちゃう?
なんとか倒産危機を乗り越えようとしていたのに、まずくいか・・
実際、経営は絶賛、自転車操業中・・
一応、DPS-SGという、私の手がかからずに作れる企画も進めていたので
何も出ないという事は無いけど、これだけでは売り上げ的に無理だろう
そう、それが8月頃の話である
年末まで後、4ヶ月
SF-ADVの開発を中止にした日、みんなで集まって会議したよ
よーし、今から、年末までに作れる企画を立てるぞーと
切羽詰まった状態だが、とんとん拍子に決まった
これが若さというか、怖い物しらずの若者集団の強い所だよね
SFが駄目ならファンタジーRPGを作ろう
ランスは大変だから、新規でベタなのを・・
ほぼ1日2日で大筋が決まった
トーナメント大会
勝ったら相手の女を頂ける
清々しいほどのシンプルなエロゲーコンセプトである
やったね
企画って、良い物を作ろうと時間をかければかけるほど
余計な事を考え、無駄に複雑にしたりしちゃうんだよね
時間が無い方が一瞬の思いつきを迷わず出来るからよかったんだろうね
細かい所は後で考えるとして、とにかく作り始めた
見切り発車である
さらに数日で、私はダンジョン移動システムを作った
ちゃんとしたマップシステムを作る技術なんて無かったので
そこはアイデアと工夫で用意した
グラフイックで作るのが難しいならテキストで作ればいいと
テキストなら高速に表示出来るしね
ローグとかもテキストでダンジョンを表現しているじゃないか
さらに私は考えた
テキストの漢字フォントは、外字としていくつか自分でフォントを作る事が出来る
この外字を使い、1文字ずつ色を変える事で、けっこう綺麗なマップが作れるんじゃ無いかと
で、作ったら、そこそこいい感じで動いた
私的には、大満足していたよ
だが、さすがに、それは駄目だろうと、ぷりん君とWAO君がグラフィックに差し替えたのでした
闘神都市のマップ画面は、元々は私がテキスト(16*16ドットの外字)で作っていたのを
CGに差し替えただけなので、ああいう小さいサイズなんです
この森のマップとか、その頃の名残をイメージ出来るよ
元のテキスト版は、森の木々の所が
森森森
森
こんな感じで、森という漢字が緑色で置かれていた
闘神都市
開発期間は、実質3ヶ月
なんか、2010年以降の自分の開発スピードを考えると
嘘みたいな短期間である
ほんと、こんな期間でよく作ったと思う
それも、いろいろと初めての試みもしているのに
もちろん、時代が求めるクオリティの差はある
今、こんな雑な作りは出来ないから、こんな期間で作るのは小型作品でも難しい
しかし、それを差し引いたとしても
自画自賛、俺達すごい、これが若者のパワーなんだね
隠居した今だと眩しく思うよ
・・・ああ、あの頃の自分達が眩しい ( 若干、過去を美化しているかもしれない
└|∵|┐♪┌|∵|┘└|∵|┐♪
移植作品、マルチプラットフォーム
今のようなパソコンソフト=Windowsではなく
当時は、各社が作るパソコンは全て独自仕様なので
ゲームソフトも、そのパソコン専用に作るの物だった
PC-8801シリーズ
PC-9801シリーズ
MSX2シリーズ
FM-TOWNSシリーズ
X68000シリーズ
PC-88VAシリーズ
など
いろいろな機種用に出すのは楽しかったな
1.アップデート出来る
今だと、アップデート、バージョンアップは簡単に出来るが当時は出したら、それっきり、バグフィックスすらなかなか出来なかったなので、1度作った商品を、移植という形で改良して出す事が出来るのは制作者としてのうれしい事だった
2.なんとなく依怙贔屓
どの機種で出すかなどは、メーカーの依怙贔屓的なのが入った作る方もパソコンユーザーなので、自分の好きなパソコンとか贔屓パソコンとかあるからねひとつしか選べないというより、そういう選択があるというのは、なんか神の視点的で・・98の多色ボード(16色ボード、256色ボード)などは拘ったな逆に音源ボードについては、いまひとつ拘らなかった当時、社内に音楽スタッフがいなく、私も音楽については、そこまで意識してなかったしX68000、FM-TOWNS、88VAパソコン御三家の新世代機種、NEC派だった私は、88VA買ったさ、だから依怙贔屓したかったが・・88VA全然売れて無いし、88VAの商品を出しても商売にならないなので、X68とデュアルパッケージにしたよ!X68000は、すごいなぁ、魅力的だ、欲しいなと思ったのだが個人的に買うタイミング逸して・・・もし、私があの時、88VAでなくX68を買っていたら、X68専用で依怙贔屓して作っていたかもしれないMSX2、他のマシンと比べてどうしてもスペック的に1段階落ちてしまい移植も大変だったでも、なんか好きだった、ゲームに特化しているというのが良いよねただ、テレビでも使えるようにとか、いろいろ安くする為に無理をしていた所が多く残念だよねもう少し、メモリーと解像度があったら・・・
しかし、こういういろいろな機種がある楽しみも
1990年代になると、PC98一択となった
Windows95が出てからは、Winだけになっていく
まぁ、移植とかで作り直しの機会とかは無くなったけど
ネット環境のおかげでアップデートとか、バージョンアップとかは作りやすくなったので、
やっぱ、開発機種が絞られていったのは開発側としてはよかったかな
当時の外回りの思い出
当時の私は開発でてんやわんやだったのだが、外回りもしていたよ
新幹線に乗って いざ東京へ >>>>
雑誌社まわり
ゲーム紹介記事を書いて下さいぺこぺこ
流通まわり
ゲームを扱って下さいぺこぺこ
ショップまわり
ゲーム置いて下さい、売り場下さいぺこぺこ
社長のお供として行ったよ
東京日帰りが多かったので大変だった
貧乏な中、せっかく交通費だして来たのだからと
1社、1店でも多くまわりろうとしたので
もう、ふらふら・・
夏の炎天下とか辛かった・・
塩対応される事もあったし(売れて無い時は特に)
無力感を感じる事も多かった
で、私はパソコンおたくのひきこりなので、すぐにへばる
社長「多田君、へばったかい? 少し休んでいていいよ
次は場所は、私1人で行くから」
スタスタと元気な社長(50代)を見て
情けない思いをしたなぁ・・俺20代なのに、うわーーんと
まぁ、こんな外回りも
後数年たったら、だんだん営業担当者に任せるようになり
開発担当者が外回りをする自体が無くなっていった
専門は開発なので、それに集中した方が効率がいいしねと
でも、今になって思うと
当時、こういう経験をしたのは良かったな
開発担当者こそ、外回りは必要だった
外の声、自分達の立場、現実を知る為にも
・・・今はインターネットで声が聞けるから必要ないけどね
時系列まとめ
1989年
7月 アリスソフトスタート
1990年
5月ランス2 発売8月DPS-SG 発売SFプロジェクトが頓挫10月ユーザークラブ スタート12月闘神都市 発売
とつぜんむっちが登場して驚きました
返信削除今までのアリスソフト史を見返しても名前が見当たらないんですがぷりんさんやちーぼうさんと一緒に入社したんですかね?
開発部長なのに外回りまでしていたのは驚きです
前から思っていたのですが、この昔語りには謎の疾走感がありますね
この頃は、Minさんもむっちさんも外注原画ですね
削除もちろん引っ張り込みたいと思っていたけど
このアリスソフト史がランス6あたりまでくるのを死ぬほど楽しみにしてます
返信削除退職するまで書きたいと思っている
削除ふふふ、よかったら見てね
X68000が出たときは衝撃でしたね
返信削除田舎のデパートのパソコン売り場でグラディウスのデモを延々見ていた覚えがあります
俺もずっと見てた・・
削除OSとか開発環境とかも、かっこよかったなぁ
次々新作がでていたのでもっと華やかな状況を想像していたのですが、内情は結構きつかったんですね。
返信削除この闘神都市で救われるのだ
削除当時は父親のPC9801VM2でアリスソフト遊びまくりました。アリスソフトだけでなく各メーカー、同人ゲームみたいなパッケージと説明書
返信削除ただ物凄いゲーム出たもんだとビックリしました。だって前提設定から凄い!
当時、こういう章ごとうまい具合の区切り方するゲーム存在しない
これで私もですが多くがファンになってのちの闘神都市Ⅱがメガヒットするわけですよ
この頃から応援してくれていた方には、ほんと感謝です
削除おかげで長く続ける事が出来た
いえいえ。アリスソフトっていい意味で期待裏切るメーカーでした。
削除ランスシリーズでもファンは同じシステムでの続編で満足なんですよ。ソレを全く違う業界に存在しないシステムでリリースするでしょ?毎回、ゲーム始める時は怒るんです。やりにくい!!でも強烈に面白い! ファンの望んだゲームのさらに1歩進んだゲーム開発って当時も今も意識されてるのか?自然になのか?凄いです
SFの奴没った後にすぐにエルフのELLE出ちゃってTADAさん悔しかったってなにかでおしゃってたような
返信削除>>逆に音源ボードについては、いまひとつ拘らなかった
返信削除当時、社内に音楽スタッフがいなく、私も音楽については、そこまで意識してなかったし
ちょっと名探偵エンディングで音楽WAOさんクレジットされてたのと名探偵でオーディオ機器やビジュアル機器調べると
今で言うオタク特有の早口のノリで長ゼリフ出たので
そこら辺担ってたのだと
マスクも外れるいい時代でした。
返信削除クミコの可愛さが衝撃的。
> SFは鬼門だね、手を出してはいけないね・・のちに大帝国も・・・
返信削除おおーい(笑)
いや、あれはあれで楽しめましたよ〜
私が作ろうとしたらという所ね
削除SF-ADV 中止
零式 当初から大幅規模縮小
大帝国 途中でギブアップ、引き継いでもらう
好きなんだけどなぁ
SFゲームから一部CGを流用したファニーBeeは最高でした(あれは「えすえふ」でしたっけ)
返信削除ゲーム画面は館3の中に没企画を紹介するコーナーがあって見た覚えがあります
館3に入っていたのか・・
削除横から失礼します。ファニーBeeの素晴らしさわかる方いらっしゃるなんて。馬並み刑事?が最高でしたよね。ローダンネタとかSFネタ満載で笑いまくりました
削除自分もファニーBeeは思い出深いです。
削除ブルマへの固執はこの作品から始まったような。
ブルマ教とか出てくるのは闘神Ⅱからですから、この作品も影響ありそうですね、
わたしのとこは未だに開発が営業やってるよ
返信削除本来営業向きじゃない人種だから開発担当として入ったわけで、中々に辛いんだよね
だから営業には営業の辛さがあるのはよくわかる
でも営業担当が欲しいなあ
私もそういう人種なので辛かった
削除楽しい事や好きな事では無かった
あのまるで方向性の違う2機種版が1パッケージにまとまってたのはそういう訳でしたか。
返信削除└|∵|┐ ふふふふ
削除アリスソフト史ほんと楽しいです
返信削除本で出して欲しいです
ありがとうー
削除さすがに本にするとかは無理だろうけど
楽しんで続き書くので、また見てねー
懐かしいですね、HDDニイレテネ.doc思い出します
返信削除社員旅行の話とかまた聞きたいです。
当時の作品(作品名までは特定できず)のアリスの館で外回りの一つにFM-TOWNSのメーカーを訪問してて「スゲー!大企業にも顔パスかよ!!」と衝撃を受けていた頃もありましたww
返信削除