チャンピオンソフト時代.後編
前回までのあらすじ
新聞の小さな求人広告を元にチャンピオンソフトに入った
そこは万年赤字でやばい経営状況だったのだ
しかし、そういう事は、当時の私は、なんも気にしておらず
ゲームが作れる、楽しー、と 前向きに通っていたのだ
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時系列まとめ
1983年
白木社長が一人で会社を創業
そこそこ売れる、当時はテープ版のソフトスタッフも増える
1985年
売れなくなる、スタッフも辞めて、社長に一人に
1986年
CGやエロに力を入れて少し盛り返すZETAなど本とDISKがセット担ったシリーズYukimiさん、とりさん、バイトとして入る
1987年
TADA(私)、WAO君が内定、バイトとして入るリトルプリンセス 発売始めて作ったゲームベテランの先輩社員が退職、自分達だけになる社長のエロゲー禁止宣言今後は、世間体の良いゲームや実用ソフトを作るメーカーになるエグゼクティブへの道 発売社長の指示の元、ビジネスぽいゲームソフトを開発私とWAO君、両方が参加した
1988年
私、WAO君、専門学校卒業チャンピオンソフトの社員となるリトルバンパイア 発売私が企画から全て作った初めてののゲームちょっと名探偵 発売同時期、WAO君が担当して作ったゲームどっちもYukimiさんが絵を描いているんだよね、さすがです社長のMSX2に注力宣言PC88.98はライバルが多すぎるので、MSX2をやろう学園戦記 発売私担当のゲーム、MSX2HopperWAO君が担当したパーティゲーム、MSX2他、当時発売されていたソフト実務系として囲碁関係、栄養士さん、監事さんとか・・初めてのテーブルマナー、女子社員を活かす法とか・・ポップレモンを作った外注チームのゲームも2.3本出てたはずミスティ、ラブチェイサーとか・・
1989年
何をやっても売れない状態になっていくチャンピオンソフト=クソゲーメーカーが定着社長の本格ゲーム宣言他社との技術力が開きすぎ、DOSやC言語などを勉強RPGやシミュレーションを作ろう私やWAO君は、その指示で企画とか試作とかしていた・・・しかし、そんなの一昼夜で出来る物では無かったタウヒード 発売これがたぶん最後のゲームかな・・とりさんがオリジナルで初めて作った物そして・・2月ついに会社の金が無くなった・・・
当時の様子・・・
私は、コンピューター専門学校の同級生をひっぱり込んでいた
ヨシタカ君 (のちに営業部長)
OKAMURA君(現在、会社に唯一残っている当時のスタッフ)
MRG君(技術協力、バイトというより外注的に手伝ってもらった)
社内の1/3くらいはクラスメート?
もちろん、他にも何人かのスタッフが増えてました(みんな新卒の同年代)
合計、7~8人にはなっていたかな
ひでSANもこの頃から居たよ
( のちに、4コマ漫画家となり単行本 「アリスのウィルス」とかを出す )
白木社長は、当時50歳くらい
一流大学を出て、上場企業に勤めて、自力でソフト開発をして起業する
常に勉強したり、研究分析をしたりという、まぁ、エリートさんです
自分と同レベルの人材(大卒で頭も良く優秀なスタッフ)が欲しかっただろうが・・
会社の状況も悪いので優秀な人材を集める事もかなわず
集まっていたのは・・
専門学校出の20代前後のクソガキ共ばかりと・・
( いや、自分で言うのもなんだが、クソガキです )
同じ年代なのでサークルというかクラブ活動みたいに
ワイワイやっていたなぁ
社長以外、先輩となる上司も居ないという無法地帯だしね
社長がのちに自伝にこんな事を書いています
「みんな専門学校を卒業して、すぐに入社してきましたから、はっきりいって普通の会社で通用するような一般常識に欠けていた。多田君をはじめ、あの3人トリオが揃うと、毎日が学校の同窓会みたいなものでしたから、ワイワイガヤガヤとそりゃあ、もうやかましたかった(笑)会社という感じは全くしなかったですよ。だから、何度も何度も怒鳴りながら教えていきました。エチケットや礼儀は頭でおぼえるものでは無い、体で覚えるもの君達を憎くて叱っているんじゃないと」
・・・うん、よく怒られました
会社の状況がやばいのに、ビジネスマナー講習とかも連れていかれたり
社長が作った教育用の冊子とかも渡されたりしたなぁ
俺達そんな事よりゲーム作りたいのにと不満とかも感じていた
親の心子知らず・・・
社長、大変だっただろうなぁ、あのクソガキどもの引率をするのは・・
当時の構成
社長(50歳くらい、大卒エリート)
私を含む8人ほどの新社会人(高卒、専門学校卒)
その他・・・思い出
当時、会社が入っていたオフィスビルは、22時で閉まったんだよ
その時間になると、もう帰ってくれと追い出される
しかし、いつも〆切ギリギリで作業していた自分達
明日にはマスターアップしないといけないとか、本気でヤバい時になると
社長に連れられてビジネスホテルにパソコンを持ち込んで・・そこで作業とかしたなぁ
それどころか、生産が間に合わないからと
出荷用のフロッピーの束をホテルに持ち込んで、一晩中 ガチャンコンガチャンコンと
フロッピーをコピーして製品製造とかもしたなぁ・・
そう、当時は、出荷数も少なく貧乏だったので
商品(パッケージソフト)は、全て自分達で生産したのだよ
パソコンに4ドライブぐらい付けて、手作業でコピーする
フロッピーに貼るシールはコピー機で刷る
箱詰めは、当然自分達でする
みんなでやってました
・・・ランス3あたりから、生産数が増えて生産を外部に出すようになった
ドラアタ兄さんもバイトで来て箱詰めとかフロッピーコピーしていたなぁ
オタクばかりの所にビジュアル系のかっこいい兄ちゃんが来て作業するのはシュールな図だったけど
(アリスソフトの音楽外注をしてくれた人、のちに大手コンシュマーメーカーで活躍する )
で、チャンピオンソフトは、ほんと売れなくなっていた
雑誌にも載せて貰った事もほとんど無かったし
発売日に店に行っても平積みでなく棚に1.2本置かれているだけだったよ
どれも数百本だったはず、幹事さん(宴会予約の支援ソフト?)とかは
確か注文数が3本だった(注文が3本なので実際に売れたかどうかは謎)
悲しいね・・・
エロゲーを辞めるとか、売れそうにない実用ソフトを作るとか、社長の方針には疑問も感じたが
自分達は、右も左も分からない新人だし、親ほど歳が離れた社長は別存在だったので何も言えなかったなぁ
怒られると怖かったし(クビを恐れるとかで無く、先生に怒られる感じというか)
しんどい事も多かったけど、楽しく刺激的な日々だった
今回は、あまりストーリーが進展しない、
返信削除人物紹介みたいなあらすじですね。
これも面白いです。
1989年って昭和64年ですね。昭和とともに資金が尽き、
平成とともに、次の話が始まるのですね。
フロッピーディスクのシール貼りとかパッケージの説明書入れって作ってる人が手作業でしてたんですね。そう考えると貴重!!
返信削除1989年....アスキーが『カオスエンジェルズ』出した頃ですね。で1990年は『FOXY』『ストロベリー大戦略』かぁ。ライバルがすげぇ。
>そして・・・2月
返信削除>ついに会社の金が無くなった・・
うへえ…
しかも社員は学生が学生引き込んで溜まり場にするような状況
白木社長は凄いな
時代が助けてくれたのもあるだろうけど、それにしても良く頑張った
マナーは身体で覚えるしかないのも良くわかる
ホントそうなんだよね
正直、TADAさんというよりは白木社長伝みたいになってるなあ…